アマゾン書評の批判に回答する

アマゾンの書評で以下LOSER氏より書評で批判を頂きましたので以下、お答えします。

回答は分かり易いように、太字斜体にしてあります。


おそらく、最初に経営重心の定義をして、そこから固有周期、固有桁数、そしてケース、応用展開や考察というふうにするとわかりやすかった方もいるかもしれませんが、数式アレルギーもあるだろうから、1章、2章でイントロとして、比喩をいれ、予兆予告的ないいかたをし、、3章で固有周期、4章で固有桁数の話をいれ、5章でまとめて、きちんと経営重心を定義する、というふうにしたのですが、人によっては、これが却ってわかりにくい、誤解を招いたかもしれません。つまり、1章、2章で比喩を交えながらの説明が経営重心の定義とされ曖昧だと思った方もいるのかもしれません。

事業の重心、これを売上加重平均したものが経営重心、経営重心を時間加重平均を創業来でとったものが文化重心あるいは不動点としての重心、であります。

 

AMAZONの他の方の書評や、このメールでも多くの方にコメントを頂きましたが、おほめの言葉を頂き、少なくとも、経営重心などの定義については全く誤解がないようでしたし、むしろ1章のイントロの比喩は解りやすいと評判だったので大丈夫かと思いました。

もちろん、他業種や海外企業へのケースを増やし、電機精密でもより深堀してロジックを深めることは必要であり、また慣性モーメントなども計算し結果をお示ししようと思ってます。よろしくお願いします。


投稿者 LOSE 投稿日 2015/4/9

評者は企業や組織における「重心」に強い関心をもっている。
むさぼるように本書を読み漁った。しかし、他のレビューには違和感を覚えざるを得なかった。
さて、著者は工学専門であるというが、以下のように定義や論理が首尾一貫していない説明が目立った。

定義は以下に示す通り、一貫しており、また、論理については、価値観の違いであり、評者は、あるべき経営の姿という価値観であるが、筆者はあくまで定量化であり、定量化されたものの意味であり、その適用範囲を探ろうとしている。以下、批判に対し述べる。



1に、企業を擬人化して把握しようとする試み・考えには強く共鳴する。
しかし、一方で、「企業の個性をお見合いにたとえれば、相手の年収が業績、仕事内容が事業内容だ(若林, 2015, p. 30)。」と客観的なデータが重要であると言いながら、他方で、「例として出した男女の相性は、なかなか多元的で重層的、そして深淵である。あえて定量化は試みないほうがいいだろう。しかし、企業の提携や合併においては、ある程度定量化することで、成功確率も違ってくるのだ(若林, 2015, p. 31)。」と後退し、さらには、「われわれは他人を見る際、その人の性格や個性から、将来性や環境対応力、あるいは自分との相性を見極める(若林, 2015, p. 31)。」と極端に譲歩し、経営陣の主観的な側面の意義を強調している。はじめから最後まで、工学の強みを言い過ぎない方が印象が良かった。

 

第一章はイントロで解りやすく人の場合でたとえようとしただけであり、p30p31は、それにすぎない。また、提携や合併は、本書では詳細なケースを入れる余裕がなかったので、これも可能性の示唆にとどめている。「われわれは他人を見る際、その人の性格や個性から、将来性や環境対応力、あるいは自分との相性を見極める(若林, 2015, p. 31)。」は、その次の文章を読んでもらえばわかるように、経営者のことを言っているのではなく、比喩としての進学や御見合いの話である。



2に、「重心」なる用語の理論的な曖昧さである。
本書を貫く重要概念であるとすべての読者が期待すると思われるが、そうなっていない。まず、経営の世界で「最適」なる形容は一般にタブーであるがそれは百歩譲るとして、「人間が人それぞれであるのと同様に、企業も、その歴史や事業領域に最適な経営スピードや事業ボリューム、事業領域の広さがあるのではないか。そして仮に、最適なスピードや事業ボリュームを『経営重心』と呼ぶとすれば、その重心と軸から大きくずれないことが、経営において重要ではないだろうか。これは、人がその個性や気質と外れた行動や生き方をすると道を外すのと同様である(若林, 2015, p. 35)。」としている。次に、「経営重心は、経営と事業の相互作用で決まっていくものであり、それによって、人事制度や組織体制、設計開発生産体制、マーケティング、サプライチェーンも定まってくるのではないだろうか(若林, 2015, p. 36)。」と説明する。
以上から、経営重心なる考え方は、市場・組織構造・技術などの多元的要素の適合関係、すなわちコンティンジェンシー・アプローチにかなり近い考え方であるようである。なぜなら、著者は「経営重心の不動点」なる概念を紹介しているからである。「企業にとって最も適しているラインが、本来あるべき不動点ともいえる『経営重心の不動点』で、その重心から外れると業績が悪化するようだ(若林, 2015, pp. 122-123)。」いま、経営を人・組織、事業を市場・技術、とそれぞれ受け止めるとしても、前段の経営重心の説明とはほど遠い。

 

経営重心の概念の特徴は、シンプルな定量化であり、客観的に定量化できる二軸で説明できる、というものであり、コンティンジェンシーアプローチとは全く異なる切口である。ここでの話は、経営重心と実際の組織など会社の形態の、コンテンジェンシーアプローチなどの考え方との対比を示唆しているに過ぎない。以下でもきちんと定義しているので曖昧ではないし、矛盾もしていない。経営重心には是非の価値観はなくあくまで定量的に説明するためのツールである。そこから、その意味がどういうことか、従来の経営「学」と比較しているだけである。


3に、上記でみた「経営重心」のほかに、本書には、「文化(重心)」、「事業の重心」、というように、複数の「重心」が登場する。
図表34「技術の適合性(若林, 2015, p. 149)」において、基盤技術の土台として「文化(重心)」を置いているが、その定義は不明である。また、唐突に、「事業の重心」なる用語が登場する。「ある特定の事業のM&Aの場合は、経営重心と対象となる事業の重心との距離から計算する。(中略)定量化された距離が近いほうが、成功する確率が高いと考えられる(若林, 2015, p. 150)。」

定義については、次の通りである。「事業の重心」は、3章、4章で、横軸、縦軸と、分けて説明してあるが、88ページに、その定義を示しており、図示もしている。

文化の重心は、これが、実は、その前に予兆的に、示した「不動点というべき重心」に近いが、143ページに、数式で、経営重心の時間加重平均と、示している。

よって定義がデタラメは、当らない。


4に、以下は第1で紹介した「経営重心」の定義と完全に矛盾する記述である。
「もともと東芝は、『マツダのランプ』で有名だった東京電気と、重電の芝浦製作所が統合されてできた企業だ。『ランプ』ゆえにデバイス事業が主流であり、真空管やブラウン管など電子管事業から半導体や液晶が生まれた。それゆえ、デバイス事業において時代時代で製品は移り変わっても、2つの重心の一極であり、そのままのポートフォリオであった。また、そういう文化と、異なる事業をうまくコントロールする知恵やノウハウが蓄積されていたのであろう(若林, 2015, pp. 183-184)。」

つまり、複数事業の(速度と取扱量から導かれる値)の加重平均が経営重心であるなら、経営重心は定義上、その企業に1つしか存在し得ないはずである。にもかかわらず、ここで、2つの重心の存在例を紹介している。合併前から引きずっている重心がそれぞれあるケースを認めるのなら、本書のはじめに、そう言うべきである。本書のあちこちで、定量分析、客観性、測定、制御を強調しているので、そのぶんだけ論証から迫力が失われてしまっている。

上記批判に対しては以下である。

重心は一つであるが、実際にはポートフォリオによって、異なる。これを単純に表現するのではなく、類型化をしようとしている。これは慣性モーメントによって計算できる。これも重心で定義したからこそ、計量可能である。

http://hooktail.sub.jp/mechanics/inertiaTable1/

今後、この慣性モーメントも、重心、広さだけでなく、示すつもりである。これも二次、三次モーメントがあり、どれが経営に重要かは今後の課題である。

また、天体運動における関係も、太陽系のような場合から、連星や二重惑星のような場合と様々である。また、重心ではないが、楕円の定義は、二つの焦点からの距離が一定の軌跡だが、こうした幾何学、天体などのアナロジーから、いろいろなパターンがあることが実用においては重要である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E6%83%91%E6%98%9F

また、実際に、企業の形態には、持ち株会社から、JV、などいろんなパターンがあり、その組織と運用が、重要である。

第一次近似として、経営重心は定量的なアプローチだが、その経営重心を定義してこそ、その概念から広がる豊富な概念、慣性モーメントなどが第二次近似となり、その応用例として、東芝を上げている。おそらく、今後のソニーや日本電産もこうだろう。

よって定義とは矛盾しない。

 

5に、企業を擬人化するのであれば、お見合いの例を途中でやめずに、極端な例でもよいので最後まで論じてみてほしかった。
なぜなら、経営学は、社会科学の一領域を構成しているのみならず、教養としての豊かな内容をもっている、評者はそう信じているからである。

 

それは、今後の課題としたいが、紙幅がない。

経営学は私は疑似科学と考えており、本書はそれと一線を画している。経営学はたまに力学や電磁気学くらいは、アナロジーとしてあるが、現実社会に役立っている工学、特に計測制御の考え方の成果を取り入れようとしていない。その点で、本書は疑似科学(多くは詭弁)である経営学ではなく、工学であると考えている。