企業レポートであれ、産業レポートであれ、オリジナルなものを書くには良い人に多く会い、良い取材をし、議論するのに限る。より多くの人に、長い期間、会うことだろう。1年だけ100人に会うよりも、50人でも5年継続して会ってきたほうが、より正しくよいレポートを書けるだろう。最低、一つの景気サイクルを超えないとダメだと、新人アナリスト時代にいわれたものだ。人も企業もいい時と悪いとき、両方を見てこそ、本質がわかる。
取材の中身、質の問題を抜きにすると、会う人の人数と、期間の掛算であろう。これは経営重心の切り口にも似ているし、ソフト開発の大変さを表す量として、人・月があるが、これと同じである。では、どのくらいの人に会い、どの位の期間が必要かを考えたい。
人に会う以外にも、本や雑誌、今ならネット情報もあるし、アンケートという手もある。その方が効率的だと思う人も多いだろう。
本や雑誌、新聞を読むのも必要だが、著者の誤解もあるし、鮮度も落ちている。また、それを元に、レポートを書いても、新しいもの、オリジナルなものは少ないというかまずない。いまでいえば、コピペに過ぎない。あくまで参考や予習程度であり、とにかく会社に取材しにいけ。これがNRIに入った時、徹底的に叩き込まれたことだ。
コンサル部隊などはアンケートをよくするが、それをしようとしたら、ひどく怒られた。第一に、相手が迷惑で、大手の企業なら、どれだけアンケートが来ると思っているのか、また、第二に、そういう中のアンケートなどまともに答えるわけがない。そして、第三に、質問の切り口が陳腐であったり間違っていると正しい答えはなく、そこから何も得られない。第四に、会って双方向で議論し、相手にも参考になるような質問をし、Give&Takeの精神で議論すると、取材というような片方向ではなく、相手にとっても何かのヒントになるようであれば、お互いのメリットとなり、次につながる。取材で一度目は会ってくれてもそれがダメならもう会ってくれない、そうならないような議論をすべきだ、と。
最初に書いた長めのレポートが86年末にマスコミでも大騒ぎとなった「高温超伝導」である。理系の大学院を出たものの、高温超伝導なんて習ってもいない。しかもそれまでの超伝導は低温(液体ヘリウム温度)で金属系であった。当時、バブルに突入していた時期でもあり、関連銘柄の株価は暴騰する。しかし、当時、文系が多かったアナリスト部隊では対応が難しい。それで、新人ではあったが、理系であり、技術調査部に属していた私が調査を担当することになった。当時は、ネットもなくPCも普及していないので、調べるのは本しかない。八重洲ブックセンターに行って、超伝導と名のつく本を全部買った。10冊いや20冊はあったろうか。何とか読みつつ、大体の理解をして取材で困らないようには知識をつけ、同時に、著者の大学の先生やら企業の研究所の方のアポを次々とった。幸い、大学を出たばかりで、講義を受けた先生もあり、また話題性もあったので企業側も取材に応じてくれた。また、物理学会や、当時、まだ属していた応用物理学会にも参加して、満員、立ち見の中で、発表を聞くと、研究者同士の質問のやりとりを聞いているとポイントもわかってくる。そういう中で、1時間強の個別取材を10件こなした頃には、普通に取材ができるようになり、縦社会で情報が共有されていないこともあって相手が知らないことも増えだした。電機や電線、重工など、とにかく関連する企業は全て、大学の先生も含めれば、1-2ヶ月に30社以上に取材した。
金属系の低温超伝導に関しては、書籍もあったが、新たなセラミック系の高温超伝導は、原理は同じだが、条件も異なり、それゆえ、書いたレポートは、それまで世の中にないオリジナルなものとなり、株式市場だけでなく、企業からも参考にされ、専門誌などに寄稿も頼まれる。そうすると、ポジティブフィードバックがかかり、向こうから会いたいという企業も出てくるし、お礼にプレゼンをしたり、フォローを続け、ブームが終息するまで、述べ100回以上は取材をしただろうか。
この経験が原点になり、その後の調査の方向性を決めた。また、大学時代、理系の中では、理論屋でも、シミュレーション屋でもない、実験屋であったことも、性に合っていた。取材が、まさに実験であり、そこから何かを抽出するというプロセスは同じであるからだ。とにかく、量であり、どんどん人と会って議論だというのがポリシーである。その後に書いた、液晶ディスプレイ、フラッシュメモリ、移動通信、二次電池なども同様であり、だいたい30社くらい取材すれば、いいレポートになったように思う。
企業レポートも同様で、アナリストになり、新しい担当をもらうと、イニシエーションのレポートを書かないといけない。IRもない時代だが、やはり、その時も、目指すべきは全役員に取材、最後は社長に取材、全工場を見学、とにかく、より多くの人間に会うことであり、やはり何となく言えるのは30人くらいに会って1~2時間議論すると、何となく会社がわかるようになる。予習や復習も、分析も含めると100時間くらいであろうか。ただ、もちろん、VBやオーナー系の中小企業はトップに会わないと意味がないし、コングロマリットの巨大企業だと、いろいろな部門があり、それはそれで大変である。
また、そもそもが、一回の取材が1~2時間として、出張の場合もあり、その往復時間も考えると、8時から20時としても、1日5コマが限界で、当然、社内会議などもあるから、土日は休まずレポートを書くとしても、年間頑張って、1000コマである。アナリストの場合は、機関投資家へのプレゼンもある(ランキング1位をとるには最低300コマだろうか)から、700-800コマ、担当会社が20社だと、1社あたり年40回くらいの取材となり、これが限界である。
では、従業員10万人の巨大企業を理解するには何人の方に会えばいいのだろうか、これはアナリストの取材というよりは単純なアンケートにおける最低サンプルであり、やや違うが、これを参考にすると、統計学の教えるところでは、信頼度95%、誤差3%、母比率0.5の場合、10万人を再現するには、1000人程度にあえばいいとうことになる。ちなみに、信頼度90%、誤差10%なら70人である。30人というのは誤差15%に相当する。10人は誤差25%である。3人以下だと誤差50%とばくちに近い。時間軸を無視して、30年間、毎年1つの企業で40人、実際には同一人物が多いが時間の経過で変わり別人となると思うと、1200人にあったことになり、信頼度95%、誤差3%となる。
これは、意外と経験値に近く、5人以下なら論外だが、30人あたりなら、だいたい再現性がでてきて、理解度が深まるが、100人以上あっても効果は逓減する。
今度は時間軸を考えてみる。冒頭に、一つの景気サイクルは必要だと述べたが、だいたい、担当替えもそんな感じだ。似た議論には、サンプリング理論というのがあり、周波数の2倍(これをナイキスト周波数という)で、サンプリングすれば、元の波形を再現できるというものである。つまり、経営重心での固有周期の半分の周期の頻度で見ないといけないということだろうか。つまり、8年サイクルの企業なら、担当期間は8年、最低4年が必要であり、シリコンサイクルが3年なら、1.5年毎にチェックが必要である。企業業績が1年だとすると半年毎、四半期をチェックするにはその半分の1.5ヶ月毎だということだ。ただ、あまりに一つの業種を長く見ていると視野狭窄になり、ここが社長の任期と同様に難しいところである。とすると、日本の景気サイクルに近い5年は担当し、四半期をチェックすることを考えると、年8回、担当の間に40回は、定期的に行かないといけない。
88年くらいから見ている液晶は、最初の立ち上げ時に、50社くらい、その後も90年代後半までは、毎年、2-3の工場見学、二ヶ月おきに主要10社くらいのキーパーソンに訪問していたから、累積では、1000近いのではないか。
また、私の場合は、電機業界全体では、30年に、日本だけでなく、欧米アジアも含め、年間500から1000回、2万回以上に及ぶし、その取材や議論の1~2時間は真剣勝負であり、その予習復習も含め10万時間は、電機業界について悩み考え、その結晶が経営重心であり、そうした長年かつ膨大な量のプロセスなしには、思い至らなかったかもしれない。
これは、私だけではなく、多くのアナリストが実践していることである。これに対し、一部の学者は、数ヶ月のプロジェクトで数十人から100人くらいに会って論文を書くようだが、人数と期間において、十分といえるのだろか。それゆえに、エクセレントカンパニーと、ケースで取り上げた会社が、その1年後に赤字に転落したり(あえて言わないが、ある方の論文や著書では、シャープもそうであった)破綻したりする(同様に根別の方の例でエルピーダ)例が多いのではないだろうか。短い期間で論文を仕上げなければならず、先行研究と証する過去の論文をチュックし、取材や議論にかける時間がない事情はわかるが、時間軸においても、会う人数においても、米国の膨大なケーススタデイと比べても、我々アナリストの経験などから考えても、大丈夫だろうか、と思う。