NRI時代同僚だったのコンサルタントの新人時代の話である。彼は、高校生時代、医師になって人を助けたいという気持ちもあったが、人でなく、法人の病気を治すために大学で経営学を学び、公認会計士の資格をとり、今に至ったという話を聞いて、なるほどと関心したことがある。確かに、コンサルタントや公認会計士などが、企業の財務諸表などをしっかり見ていて、アドバイスしていれば、大企業病や、経営危機にならない場合も多いだろう。たしかに、コンサルタント等は、法人の医師であろう。ベンチャーキャピタルは、幼稚園や小中学校の先生みたいなものであり、社外役員は、じっと見ていてときどき、アドバイスをくれる祖父母や親類のおじさんみたいなものだろうか。今後、期待されるスチュワードシップコードに基づく良い機関投資家は、苦言を呈する親友(中には悪友どころか、いい友人のふりをして騙したりする者もいるので注意が必要だが)、アナリストは、小うるさい余計な御世話の近所のオッサン、オバサンかもしれない。経営重心は、法人の気質あるいは個性の定量評価であるが、法人に関するいろいろな議論も、個人に例えて、考えると常識的に解りやすいかもしれない。
さて、今回は、シャープだ東芝だとかの個々の企業ではなく、業界と役所の関わり、産業政策の話をしたい。
法人をもう少し大きくして、産業レベルになると、役所という話になる。産業あるいは業界が生まれ発展して衰退する過程で、日本では経済産業省が一手に関わってくる。小さい産業や中小企業は中小企業庁だろうし、ある程度、産業の形になってくると、どこかの課の担当となり、いろいろ面倒を見てくれたり(余計なお節介もあろうが)する。高度成長時代には、当時の通産省が、業界にとって、病院、学校、いろいろな役割を担ってくれ、大きく貢献した。情報通信では、他方、郵政省、現在は総務省の影響も大きく、最近では、金融庁や、厚生労働省などに関連することも増えている。かつては、業界と役所が、だいたい、1:1だったのが、複数の業界と、複数の官公庁の関係となってきた。特に、上場会社の場合は、東証や、金融庁の影響が大きくなっている。もちろん、そのバックには、財務省があり、個々に業種毎に、お金の流れを中心に、状況を把握し、直接間接に、支援や助言があろう。
ある業界が一定程度の規模になると、業界団体ができ、統計の対象となり、どこかの課に監督指導されるようになる。1980年代に誕生したシステムハウス業界(現在 組み込みマイコンシステム業界)は、当時、どこの業種にも入らず、システムハウス協会という協会が設立され、統計では「その他」の「その他」に入れられた。私もNRI当時、協会の実態調査委員会のメンバーとなり、自転車競輪関連の補助金の予算だったと思うが、業界にアンケート調査をしたり、ヒヤリングをして報告書をまとめたものだ。新しく勢いがある業界の各社を調査し、各社のトップと親しくさせていただいたことは大きな財産であったし、企業の発展段階を見る上で、参考になった。上場会社になった例も多いが、当時勢いがあっても衰退したものも多く、いろいろ考えさせられる。その後は、超伝導の調査をきっかけに、非鉄金属課で研究会だか勉強会のメンバーとなったり、中小企業課で、素形材産業の委員会メンバーに参画、鋳物産業を、川口や各地に行き、沖縄まで行って、調査したのも良い経験になった。90年代半ばからは、半導体や液晶中心に、情報機器課や、SEAJやSEMIなど業界団体との付き合いが増え、半導体産業研究所の諮問委員になったりした。
電機産業では、大型コンピュータの再編、半導体などの国家プロジェクト、日米半導体協定など、当時の通産省が果たした役割は大きいが、これを、個人の場合で連想すると、学校の先生、仲人役、喧嘩仲裁、だろうか。しかし、ITバブルの頃を境に、大きく、その役割や、影響力も変わってきたように思う。一つには、産業のグローバル化であり、その中での日本企業の地盤沈下であり、日本だけで話をしていてもどうしようもなくなってきたことである。もう一つは、各社の多角化、リストラ、ポートフォリオの入れかえ、であり、従来の担当監督部課との関係が多様化し、捉えきれなくなったこともあるだろう。
そして、業界統合が進んだところは、工業会自体が成り立たなくなってきた。かつては上場会社クラスが10社以上、関連会社や中小も含め数十社あり、統計を取りまとめ、報告書をだし、業界の発展や広報活動も担ってきたが、経営統合、外資の買収、破綻等も含め、脱退や退会も多く、2社しかないとか、3社しかないところも多く、これでは、月次の生産データなどは、実質、1社のものとなってしまい、出す側も乗り気がしないし、使う側も意味がないということになっている。この工業会の衰退は、経産省の影響力の低下でもある。以前、統計局の知人にも話したが、電機関係は多くの統計データが、このような事情の上、海外生産シフトなどもあり、実態にそぐわなくなっている。
ITバブル前から、経産省では、辣腕の担当者が、半導体業界の統合に東奔西走し、通常の任期を超えて奮闘したが、「ニッポン半導体連合」は実現せず、結局、ITバブル崩壊後のリストラの中で、エルピーダメモリや、ルネサスが誕生した。当初、氏の思い通りに早期に、総合電機各社が、決断していれば、また違った結果になったかもしれないとも思うが、やはり背景には、日本連合だけでは、もはやどうしようもない、ということかもしれない。
この10年くらいでいえば、産業政策では、INCJなどのファンド、と、エコポイント、太陽光補助金などが、重要であろう。
INCJは、経産省だけでなく、むしろ財務省の果たした役割が大きく、当初は、VC的役割や、知財ファンド的な意味合いも大きかった。INCJは、民間ができない長期の大規模な資金を投じるファンドでもあるが、産業再生機構とも違うようで似ている部分もあり、個人に例えれば、学校の先生役と、病院か健康センターでもあろうか。病院でいえば、ちょっと違うが、政策投資銀行もある。半導体のシステムLSIでは、ルネサス(日立、三菱電、NEC)は、INCJ、ソシオネクスト(富士通、パナソニック)が政策投資銀行と使い分けている(利益相反等)ように思う。シャープを巡る問題で、INCJ主導でJDIと合体という議論が多いが、経産省としては、このように政策投資銀行を使う手もあるだろう。
赤ん坊対策のVCと、成人病、慢性病対策では、このように、手術治療型、漢方型、いろんな「病院」があり、豊富である。そこで、ぽっかり穴があいているのが緊急救急病院である。リーマンショックのように急激な金融市場の変化が起こり、健康体でも、いわば交通事故で大量出血のように救急入院が必要なことがおこる。この場合は、緊急性は要し重篤だが、1週間もすれば元気に退院でき、慢性病とは、全く違う。米国の場合は、ウォーレンバフェットやソロスが、実際にそうだったが、トップダウンで決断して、投資をし優良企業を救うのである。ところが、INCJは、そういうたてつけでもないし、多くの民間ファンド、機関投資家も難しい。数千億円あるいあ数百億円を一銘柄に集中投資はできないからだ。実は、前職のヘッジファンドでは、そういう役割を果たしたかったが、及ばなかった。エルピーダは、そうすれば、救えたかもしれないし、シャープも慢性病がなければ、数千億円で、一定期間入院すれば、再生しようが、まだ慢性病はわかるが病気が特定できていない。あるいは、東芝が最悪の場合では、東芝は慢性病ではないと信じるが、そうしたファンドが必要になるかもしれない。
シャープの場合は、重度の慢性病もあるようだが、原因の多くが液晶とソーラーだとすると、この10年間では、TVでのエコポイントの反動減と、ソーラーのバブル崩壊が大きい。私は、講演など色々な機会を通じて、エコポイント導入などで仮需が発生する時が、TVやディスプレイ産業を再編、撤退するラストチャンスだと言ってきた。
しかし、多くの企業は、目の前の仮需に、その数年後の反動減を考えることなく、設備投資を敢行し、事業を拡大した。シャープは、その代表例であり、パナソニックもそうであった。ソーラー買い取りでも、そのために、ポリシリコンが高騰し、シャープはそれがずっと続くと焦って高値の契約を結び、堺へ投資をしてしまった。もちろん、過ちは、企業であるのだが、良かれと思った産業政策が、こういう結果を招いたという意味では罪作りである。今から行ってもせん無いことだが、こうした政策なかりせば、シャープも、あそこまで過剰投資をし、過剰在庫を抱えることもなかっただろう。
たしかに、産業が成長期にあり、国内が中心で競争力があれば、そういう刺激政策で、最初に最小限必要な一定の需要を立ち上がらせ、コスト低下と需要増が好循環にまわり産業が拡大するというのは、これまではうまく機能した政策である。中国も、TVで、同様の政策(いわゆる家電下郷政策、日本よりも、在庫をどうするか、等もっと巧妙でよく考えられているが)をとっており、普及初期では大いに成功した。しかし、現在の日本で、高度成長期のように、そういう政策がうまくいくかというと、逆効果のような場合も多い。また、クロダノミクスによる?円安は政策というわけではないが、その影響に関して(経産省は、そんなことは分かっているだろう)、一部の官邸関連の中には、「円安で電機産業が儲かる」というような誤解もあり、電機産業に関しては、善意でやったいろいろな政策が、逆効果どころか、とどめを刺している例もある。いや電機産業ばかりではない。古くは、地方の地元商店街を活性化させようとして却ってアーケード通りとなったり、ふるさと創生が財政の負担になったり、枚挙にいとまがない。
最近では、ロボットだ、医療だとか、成長、成長だと、委員会や研究会が盛んだが、政治家や役所より、企業の方が、もう十分に大人であり、世界にも通じているだろう。経営学に書いてある美しいストーリーばかりではない。商売、カネ儲けをしたことがない、またカネ儲けや、安く買い高く売ることを卑しいといるメンバー(かつて、高官の発言にもあったが)が中心で、カネ儲けを最低限しなくてはいけない産業を育成すること自体が喜劇だが、そろそろ、その限界が来ているのではないか。
むしろ、やるべきは、育成ではなく、業界側ではできない、介護や終活に関する政策ではないか、と思う。成長のために資金を投じるのではなく、終止符をうち、転換させることに、である。個人の安楽死も難しい問題だが、法人、産業においては、もう少し冷静に客観的に考えられるだろう。減損など、会計なども関連するが、成長だと思われている中に、よく精査すると、ゾンビ産業も多いのではないだろうか。
また、企業側は、目先の成長刺激政策の甘い餌に頼らず、それは永続的に続くものではなく、常に中期で、反動減や反作用もあることをよく認識して経営戦略を立てなければいけない。自主独立の精神もなくなってきているように思う。始まりはトキメキがあるし、明るい話は、楽しいし、そうでなければ、新産業新規事業など、始められないだろうが、多少は、終わりのこと、EXIT戦略を同時に考えなければいけない。だいたい、数千億円のコア事業であれば、衰退後、最後に撤退する場合、数百億円は特損でかかるものであり、累積で利益を出すのは容易ではない。もちろん、ある程度の減損はしていても、撤退引当金などは計上しようもないが。
官僚はもちろん政治家も、善意で、日本の産業をよくしよう、景気を回復させようとしているが、最近は、その反動減の影響が目につく。ここ2-3年のアベノミクスの反動も、エコポイント、ソーラー買い取り、消費税導入と、同様に、どこかで必ずくるだろう。その後始末をするのは、政治家か官僚か、民間なのか、後世の世代なのか。年金も原発も、最初は、おそらく、何十年先の後始末は、うっすらと解っていたが、まあかなり先のことだから、科学技術も発展するし、経済も成長する、何とかなるだろうという、ぼんやりとした不安ならぬ、ぼんやりとした楽観から始まったにのではないか。