昭和11~12年は、戦前の日本の頂点であり転換点でもあった。昭和11年は、2.26事件や軍縮脱退など暗いニュースの年と記憶されるが、東京五輪がIOCで決定された年でもあり、東洋経済の会社四季報が創刊された年だ。翌年の昭和12年は、戦前での一人当たりGDPがピークであり(戦後この水準を超えたのは昭和32年)、文化勲章が制定され長岡半太郎らに授与されたのも同年だ。他方、日中戦争が勃発し、満州なら中国の田舎だからまだしも北支への進行は世界の注目を浴びて取り返しがつかなくなった、と当時の軍人でさえ回想していたようだ。「昭和の迷走」(多田井喜生)
昭和15年と平成32年
昭和15年と平成32年を並べて、振り返ると、今年、五輪を5年後に控えた平成27年は昭和10年となり、多少、1-2年のずれはあるが、何やら不気味な類似性があって怖い気もするが気にしすぎだろう。昭和15年は東京五輪が戦争で中止となり、その代わりに紀元2600年の記念式典の大騒ぎがあった。その翌年が太平洋戦争である。昭和39年の翌年も山一危機など不況であった。平成32年の翌年も油断はできない。
昭和15年と平成32年を基点に 振り返る
昭和9年 治安維持法 関東軍、三陸大地震 平成23年 東北大地震
平成25年 東京五輪IOC決定
昭和10年 言論統制(天皇機関説)相沢事件 平成27年 安保法案
昭和11年 2.26事件,軍縮脱退, 東京五輪IOC決定 平成28年 マイナンバー
昭和12年 盧溝橋事件,産業統制化 平成29年 ヒラリー?(反日、親中)
昭和15年 東京五輪予定,紀元2600年 平成32年 東京五輪
昭和16年 日米開戦 平成33年 不況?
昭和20年 敗戦 平成37年 ??
そういう意味で、昭和12年は興味深い年であり、四季報刊行後1年位、戦前の一人当たりGDPピークの年の電機メーカーあるいは日本の企業や産業がどうであったかは、以前から関心があったが、東洋経済の記者の御蔭で、会社四季報アーカイブで一端を見ることができる。http://shikiho.jp/tk/archive/
四季報は昭和11年刊行
当時、株屋のための会社四季報なんぞ、という社内の向きもあったらしいが、モノ好きがいて、しかも2.26事件の年に刊行、昭和19年まで続け、戦後も昭和21年に復活していることには、心から敬意を表したい。同時に、こうした戦前の貴重な紙の書類をいちいちPDF化してアーカイブとして提供していることにも感謝したい。
昭和12年は電機5社程度、繊維、電燈電力、鉄道が多い
そこで、昭和12年に掲載されているのは300社、36業種である。電機という分類はまだ無く、機械工作という分類の中、31社中、日立製作所、東京電気、芝浦製作所(まだ、東芝に合併されていない)、富士電機製造くらいであり、機械は多いがあとは、珍しいもので日本楽器くらいである。NECも松下もまだ上場していない。
業種分類で面白いのは、当時は繊維が主力であったので、繊維織布、人絹、絹紡、羊毛、麻糸紡織と細かく分類され、社数も多い。また電燈・電力が33社、鉄道軌道が32社、と多い。セメントも13社、珍しいものは護謨栽培などがある。満州やスマトラ、朝鮮などを社名に冠する企業も多い。また、金融は銀行も証券も見当たらない。
昭和14年の日立製作所を見ると、会長が鮎川義介、社長が小平浪平、他役員10、監査役2、自己資本比率も高く、利益率も二桁、モーターや車両などが主力で、あまり今と変わらない。他方、昭和14年の合併後の東芝は、今と異なり自己資本比率は高く、社長は山口喜三郎、役員には18人中、3人も外国人がいる。ただ、当時も相談役、顧問などがいる。数字で、日立と東芝を比べると、総資本では、日立が2倍、収入では日立が3倍、利益では4倍の規模があり、既に日立が大きい。