本日1月27日16時半〜17時半前の説明会に参加し、質問もした。出席者は、綱川社長および、半導体担当の成毛副社長、マスコミと合同。メモリー事業分社だけでなく、原子力事業にも触れたため、質問は、むしろ、原子力や東芝全体のポートフォリオや行方についてのものが多かった。まだ、詳細は不明な点も多いが、2月14日の説明会では、WH関連の損失額だけでなく、原因や方策、原子力事業の方向性や財務強化策などが明らかになるようだ。綱川社長の表情は明るくはないが苦渋に満ちているということはなく、むしろ大きな決断と覚悟の後でさばさばしているように見えた。質疑に対しても、成毛氏も含め、冷静に誠実に回答していた。室町前社長からメディアカルを売却してくれと苦渋の判断を強いられた綱川社長が今度は成毛氏に分社(もっともヘルスケアと異なり東芝はマジョリティだが)を説得するというのは不思議な巡り合せだ。
原子力をESSから出し社長直轄の下で大幅見直し
今回、一部、先行して報道もあったが、原子力事業の抜本的見直しに着手することは評価したい。東芝のコア事業はエネルギーも含めた社会インフラだが、今回の件もあり、リスク度合いから、原子力は位置づけを見直し、社長直轄として精査する。国内はフクシマ問題もあり、再稼働メンテや廃炉事業は責任を持って継続するが海外は見直し、リスクが小さくメーカーとして手触り感がある炉やタービン製造はやるが、今回大きなロスとなるS&W等の建設工事やEPCまではやらない方向性のようであり、WHへのガバナンスも強化、海外の新規案件は、志賀氏やロデリック等、部門任せにせず、十分にリスク・リターンを見極めていく。詳細は、2月14日だが、志賀氏やロデリックの責任問題や、彼らの下での海外での原子炉受注など中計も見直し可能性があるようだ。もちろん、その成長性・収益性も現在の財務危機の中でのリスク許容度が制限条件となり、減損が出てこないような新しい原子力のビジネスモデルになるだろう。
メモリー分社は、あくまでメモリー事業の強化と成長が主、本体の資本増強は従
今回のメモリー事業分社化は、重要な決議なので、臨時株主総会決議を行い、議決権行使のための基準日を決める。これは、本日の取締役会決議だが全員一致だったようだ。目的は、あくまで、メモリー事業の成長と競争力強化のためであり、継続的なCapexやR&Dが必要なメモリー事業の在り方を従来から議論して分社化も選択肢の一つとして、検討してきたが、今回の危機がその決断を加速化したのであって、資金捻出が目的でなない。四日市の新棟も予定通り2月着工(2月9日起工式)である。
とりあえずの位置づけは、SSD社の下に、分社会社を置くわけで、INS社の下の東芝ソリューションや、インフラ社の下の東芝エレベーターと同じ。また、今回、対象でないHDD、アナログ、ディスクリートは、そのままの位置づけとなる。
SSDが対象となるが、これは、チップ同様に、コントロールを入れているが、NANDの納入形態が前工程チップかパッケージかコントローラを入れるかのバリエーションの一種であるから当然だろう。
詳細は不明だがオークションではなく概ねスキームも相手も決まっているかもしれない
今回、報道が入り混じっているオークション導入、相手先、さらには、ファンドや金融機関の支援、DESなど財務強化スキームについては、検討中、2月14日に明らかになるようだ。
メモリー分社の相手先の選別条件は、メディカル譲渡と同様に、①資金、②スピ―ド、③独禁法、④成長性やシナジー等、であるが、オークションとは限らない印象を持った。確かに、完全売却なら、金額なども単純だが今回は、独禁法や東芝の傘下維持もあり、最大20%未満であり、複数社の可能性が高く、また、既にJVもあり長年関係が深いサンディスクを傘下にもちWDCが名乗りをあげているため、スキームが複雑である。メーカーもファンドも含め関係者が、将来性も含め、よくスキームを練るべきだろう。
既に相手は決まっている可能性
あるいは、分割する場合には、当然、その先も含め考察されている筈であるから、最初はオークションも検討されていたが、既に、相手もスキームも固まった中での決定の可能性が高いだろう。
原子力は将来切り離しではないか
今回明言は避けたが、せっかく、社員の賞与をカット、IR開示も大きく改善、TVを除き全部門黒字化と、全社一丸となって再生・特設注意銘柄解除に向けて努力、成果も出る中で、今回の会社を再び危機に陥れたWH関連は許し難いだろう。さすがに聖域であった原子力、WHにメスを入れざるを得ないだろう。当然、志賀氏、ロデリック両氏の責任は重く、今回は出席もしていないが、それは、もう東芝の代表として出せないということであり、綱川氏の指導力で、原子力ムラの常識ではなく、世間の良識で、原子力を抜本的に見直すということだろう。
2005年以降、特に原子力を大きなコアとしてきたが、それが、どんどん、西田、佐々木時代に暴走したが、「炉心がメルトダウン」の後に、まさに冷却に着手である。国内のメンテや廃炉、海外向け部品などメーカー的であれば、リスクも限定的でメーカーが可能な範囲かもしれない。その意味では、将来、原子力が分社化されるかどうかは不明だが、それはメモリー事業分社とは全く異なる意味だろう。
新たな東芝の形
こうして、メモリー事業は将来の成長のために分社、暴走する原子力はリスク許容度を超え分社の可能性と、意味や意義は異なるが、この10年有余、西田体制後、「集中と選択」したこの二大コアが、東芝のポートフォリオから出ることになる。
2005年までは、メモリー中心に半導体はあったが、ディスクリートやアナログも強かったし、原子力もあったが国内中心で建設や燃料というよりメーカー的だった。それゆえ、経営重心®でも、まだ、許容範囲だった。また、両者を繋ぐ重電、PC、TVもそれなりの存在感はあった。それが、半導体では、メモリーに傾注し成長、国際的なスケールが大きくなるのは良かったが、よりサムスンとの厳しい競争となり、東芝の屋台では厳しくなった。また同時に、ディスクリートやアナログはM&A失敗もあり、弱体化した。原子力では、WH買収を契機に、EPCを目指し、どんどん経営重心®から外れ、一電機メーカーの範疇を超えてきた。その中で、ジャパンストライクゾーン近辺に点在していたPCやTVなども撤退縮小、まさに極端な2コアが目立つ形となったのである。それぞれが真逆のグローバル事業ゆえに、当事者以外は事業の理解も難しく、それぞれのコアのトップは良くいえば、相互に尊重、相互不干渉、実態は、無関心であり、役員会でも、業績がいいうちは、放任状態となったのであろう。それが粉飾の土壌ともなった。
事業の特色と位置づけ
そもそも、東芝の事業には、経営重心®の大きな差もあるが、位置づけとして、①グローバル競争の中で成長性や収益性を期待するNANDフラッシュの半導体事業(本来は、PCやTVもこのカテゴリー)、②成長性収益性よりも、日本の社会基盤を支える存在であり無くなっては困るインフラ事業、③その両面を持つ原子力、テック、ICTなどがある(かつてのメディカルも)。この中で、万が一のことがあってはならず国策だろうが何だろうが守り存続させるべきは、②である。これに対し、①は成長・収益性があってこそ、であり、特にNANDは唯一健闘している半導体メモリー事業であり、成長のための施策を考えるべきである。難しいのは、③において、原子力は、成長性や収益性期待よりも、リスクが大きくなっている。また、テックやICTは、②の事業との戦略性次第だ。
こうした分類から考察すれば、今回、東芝のコアとして本体に残すのは、上記のように②であり、当然かつ正しい判断だろう。 以上は、https://www.circle-cross.com/2017/01/15/2017年1月15日-東芝の再編動向/ でも記しているが、そういう方向性だろう。
80年代のI作戦再び
では、新しい東芝のコアは何だろうか。それは、30年前に戻ることになるが、ジャパンストライクゾーン周辺の社会インフラ事業である。考えてみれば、DRAMで躍進、半導体の東芝となったのは、85年以降、それが2000年のITバブル崩壊で撤退、NANDに舵を切り替えたのだが、そのNANDもこの15年の事業である。原子力は以前から強かったが、現在のようになったのは2005年以降だ。その意味では、90年代は、NANDも原子力もコアではなかったのである。
80年代、東芝は、「I作戦」と称して、重電の情報化を進めようとした。今でいえば、IOTである。当時の東芝はメモリーも弱く、重電中心の会社だが、高度情報化社会の到来の中で、制御コンピュータで強化し成長エンジンとしようとしたものだった。結果的には、ビッグデータもAIもまだであり、本来の狙いは開花せず、むしろ派生的に、ノートPCや、DRAMが大成功、90年代は、その貢献が大きく、逆に、その後は、これらの事業の不振に苦しんだ。
そして、この15年は異常な2コアへの傾注だが、本来、東芝のR&Dの強みは、IOTやAI関連でもある。過度なリソース配分を戻せば、IOT時代に、十分成長余地はあるだろう。横串の組織として、インダストリアルICTソリューション社を位置付けたことだ。あたかも、80年代に戻って、「I作戦」の再来、「情制本」復活を再起させる。
IOT戦略は、横グシと、ITとアプリの掛け算である。IT部門を横串で、豊富な社会インフラの応用市場に向けITとの掛け算でシナジーも出していこうとするものだろう。
社会インフラは国内中心であるが、流通など、強い分野もある。製造業のビッグデータが中心だが、将来は、ここに東芝テックのPOSデータなどの消費流通データも加われば面白いだろう。具体的な連携や、顧客との共創、契約が鍵だろう。
また、これまでは、カンパニー制ゆえに遠心力が強く、各事業がお互いに干渉はしないが、無関心であり、業績は競い合うという傾向があったのを、うまく連携させれば、まだまだ成長余地委は大きい。
オープンイノベーションと事業の絆の在り方
いずれにせよ、東芝のポートフォリオは大きく変わる。城に喩えれば、本丸はコンパクトになったが、強い事業は、どんどんカーブアウトし、外に出城・出丸を築いており、いわば、かつての日立の子会社戦略のようだ。資本の関係は薄くなったが取引関係や人間関係など多くの絆がある。いわば橋頭保を築いて、本体との間に、豊富な事業機会、よりオープンイノベーションの可能性が出てきたともいえる。
その意味では、新しい時代に、危機は飛躍のチャンスでもある。外部も社内の若手も、この10年の東芝しか知らないが、真の東芝は、それだけではない。シャープが、この20年液晶のシャープと言われ、そのカンバンがなくなって、他の芽が出てきたが、東芝も同様だろう。