東芝問題に関連して、NAND型フラッシュメモリーと、舛岡さんの話が、NHKはじめマスコミで出ている。私は、舛岡さんに、東芝時代に数回、東北大時代にも数回、お会いし、フラッシュメモリー市場が2000年に1兆円規模になるというレポートを書いた(92年に日経マイクロデバイスにも寄稿、それが舛岡さんの著書にも引用された)。また、90年代には野村技術アドバイザリーという野村グループの委員会で、IBMのHDD関係の技術者と討論して頂き、また2002年には、シンポジウムにもお招きし、舛岡さん、当時は東芝の技術部長だった小林清志氏、サムスン電子の李氏、富士通の吉田氏と、討論して頂いた。技術者、アントレプレナーとして、舛岡さんを尊敬しているし、
NHK報道番組は誤解を招く
去る2017年11月23日の、NHK報道は、偏向や事実誤認もあり、誤解を招く面も多い。イノベーションが変人の技術者が中心に成し遂げられた、というのは、ステレオタイプであり、ドラマ的にも、受けやすいが、そういう理解は、むしろ、イノベーションの阻害要因だ。もちろん、舛岡さんの業績は、ノーベル賞級だと思うし、戦略面も含めアントレプレナーとしての功績が大きい。
しかし、フラッシュメモリー、特にNAND型がここまで巨大な市場となり、東芝の屋台骨を支えるようになったのは、彼や、番組に出てきた白田氏など舛岡チームだけの貢献ではない。多値や、インターフェイス技術等は、サンディスク社との提携が大きい。また、HDDと同様のデータ構造にしたり、浮遊ゲートや、セル等の構造の変化は、当初の技術とは変化、進歩しているが、これは、その後の東芝の技術者や研究者の功績だろう。また、アプリ面でも、デジカメやアップルなどのユーザーの支持も忘れてはいけない。事業面では、何といっても、2002年当時のシンポジウムでも強調された「DRAMの二の舞はしない」という、事業トップとして長年、リードされてきた、小林清志氏の功績が大きい。
川西専務に、NAND型EEPROM技術を紹介され武石所長と舛岡氏に会う
当時の東芝経営陣は舛岡さんを高く評価していた
イノベーションを起したもの
東芝のNANDフラッシュ事業がここまで成功した要因は、今から振り返ると、3つのステップがあっただろう。
MOTの良きケース
上記のように、NAND巨大市場と東芝の健闘は、ステレオタイプな天才技術者の成功物語ではなく、外部とのオープンイノベーションや、業界デザイン、キラーアプリ発掘、それに向けたアーキテクチャ重視など、多くの技術戦略が内包されている。
しかし、NHKは、それを矮小化し、悲劇の天才の話にしている。こうした誤解がコンセンサスとなり、MOTの上でも間違ったの認識となることを怖れ、また、当時の状況をより正しく認識頂くため、下記に、91年当時のレポートの内容を示す。これは、当時の日経マイクロデバイスにも寄稿し、舛岡さんの著書にも引用されている。
1.転換期を迎える半導体事業
(1)崩れつつある常識
(2)4つのシナリオ
(3)ポストDRAM事業を担う半導体は
2.新しい期待のフラッシュメモリー
(1)不揮発メモリーのフラッシュ
(2)NAND型とNOR型
(3)フラッシュメモリーの特徴
(4)小セル化に最適な素子構造
(5)低コストの製造設備
3.メモリー市場の構造
(1)メモリー産業の位置づけ
(2)階層的なメモリー市場
(3)ユーザーニーズとフラッシュの利点
(4)フラッシュメモリーの課題
4.磁気メモリー市場を代替
(1)歴史の必然-半導体化
(2)ビットコスト比較
(3)市場の広がりは5ステップで
5.フラッシュメモリーのリーディング企業
(1)米国企業が事業化に先行
(2)全半導体メモリー制覇を狙う東芝
(3)すでに事業化に成功したインテル
(4)東芝のNANDかインテルのNORか
(5)その他の注目企業
6.フラッシュ時代の半導体事業戦略
(1)フラッシュ時代の産業インパクト
(2)新しい情報化を推進するフラッシュ