なぜ、日立は、Amazonにならかったのか?

 

平成も終わろうとしている今日においては、日立とアマゾンを比較することすらナンセンスに思えるが、振り返ってみると、日立にも、アマゾン的要素があった。

 

 21世紀に入って、今日まで、一般的には、優れた企業とは、総合電機や垂直統合ではなく、水平分業、脱自前主義、選択と集中、更に日本では、ニッチ志向などがキーワードだ。インテル、マイクロソフト、アップル等は、これに当てはまる分は多いようだ。しかし、アマゾンは、初期こそ、これらと同様のように見られたが、むしろ、自前主義、垂直統合、拡大志向である。そのコアコンピタンスは、ITに支えられた物流などのサプライチェーン力であり、世界を制覇する、21世紀のローマ帝国のようだ(成毛眞、「amazon 世界最先端の戦略がわかる」2018年ダイヤモンド)

 

 20世紀最後のドットコムバブルの頃、インターネット産業で勝つための条件は、①IT力、②物流、③金融、と言われていたが、当時の日立は、まだまだITでは強く、グループ傘下に、日立物流や日立キャピタルを有し、かりにITでは、IBMに負けても、物流や金融を有する点では、IBM以上であり、もちろん、創業間もないアマゾンなど問題外であっただろう。

 

しかも、先端技術に関心があり、自前主義、垂直統合、拡大志向、さらに、90年代半ばまでは、工場プロフィットセンター制であり、経常利益率などのKPIなどを満足していれば、工場の自主性に任せるという点でも、アマゾン的、いや、ローマ帝国的であった。