平成時代の総括を年初めにしている。
ミクロ面を中心に、エレクトロニクス業界等に関しては、12月9日に書いた。https://www.circle-cross.com/2018/12/09/2019年とポスト平成時代を読む/
また、マクロ的な話や株式市場的な面は、1月2日に書いた。
https://www.circle-cross.com/2019/01/02/平成時代の世界と日本のgdpと時価総額の推移を考察/
さて、今回は、こうした経済的な話ではなく、少し異なる視点から、振り返ってみたい。既に、多くのマスコミや識者が、総括している。TVでも、1月1日の「朝まで生テレビ」や年末のBSでは、学徒出陣を現在の学生に聞き、戦争を総括するような番組があった。今回は、総括に関しては、全般的な話ゆえに、個人の話も多くなり、まさに、ブログ的な記述が多くなることをご了承いただきたい。
フラットな時代
12月9日の「ポスト平成時代を読む」では、平成時代は、「Flat Growth(平らかな成長)」の時代であった、と書いたが、全てにおいて、Flatが、キーワードであったように思う。トーマス・フリードマンが「フラット化する世界」を書いたのは2005年であるが、違った意味で、平成時代は、ITの発達により、フラット(ゴツゴツしたものが無くなり、より同調圧力が高まった)になったように感じる。
昭和も、オリンピックや万博までは、戦前生まれが社会の中心だった。その中で、問題意識も高く、行動力もある方も多く、安保論争や学生運動も盛んだったが、徐々に、安保や憲法問題も含め難しい話から目をそらし、目先に高度成長に邁進した。そして、平成になり、バブルで、経済的価値だけが、主たる関心になった。平成時代は、リーマンショックのような世界的な経済的事件や、経済的不正事件と地震等の自然災害以外は、世間を揺るがす騒動や事件は少なかった。
米軍と原子力、平和と経済発展
平成時代は、確かに、戦争の無い平和な時代だったが、実際は、世界中で戦争やテロ、難民は増えており、少なくとも間接的に、日本の関与はあり、世界の苦しみの中で、自分の周囲だけHappyであれば、よしとするのも違和感がある。それが、たまに出てくるのは沖縄問題だ。昭和の頃には盛んだった社会運動やデモは少なくなったが、未だに熱い闘いは、米軍を巡る問題と、原子力問題だ。そして、この二つは、当然ながら、密接に関係している。
年末に、「知ってはいえない2」を読んだ。この内容の可否は専門家に委ねたいが、沖縄問題や、日米を巡る色々なモヤモヤした感じが氷解された印象だ。前著もそうだったが、今回の方が、戦後の矛盾を明らかにしているように思う。
知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた (講談社現代新書)2018/11/14矢部宏治
知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書)2017/8/17
やや書き方は異なるが、日本と米の微妙な関係を、異なる表現で書いたのは、赤坂真理である。
愛と暴力の戦後とその後 (講談社現代新書)2014/5/16赤坂真理
戦後の日米関係について、比喩的に書いているが、矢部氏の論点と共通点が多く、世代も近いこともあり、共感できる点が多い。
我々、昭和30年代生まれは、古き良き日本の名残を幼児期に体験し、長じてからは、高度成長とバブル期を体験した世代であり、戦後の矛盾を感じている。それは、米軍との日米安保や核の傘の下での平和と経済発展への不安だ。既に、3.11で原子力安全神話は崩れ去り、「美味しい話」などなく、全ては、リスクやコストとリターンの中にあることは、日本人の宗教・道徳観と証券金融理論の常識という、一見、真逆な知見の中で、一致している話だ。そして、原子力安全神話の次に崩れ去るのは、日米安保だろうか。
戦前は普通の国だった
不幸な戦争で戦前は終わったが、戦前の幸福や経済反映は、軍備や徴兵制というリスクや負担の中にあり、ある意味、「美味しい話」は無かった。それ故に、国民にも、覚悟と誇りがあったように思う。これは、戦前生まれの両親や祖父母はじめ、多くの方々との会話でも、そのように感じる。
私自身、子供の頃は両親や祖父母や小中高の教師に戦前の話を聴いた。当時、戦後20年位であり、戦争経験者も多く、当事者の意識がはっきりしていた。
戦前と戦後を、為政者の観点と、庶民の観点を対比させ、当時の風俗も交えて、見事に描いているのが、コミック「昭和史」全8巻(1989 水木しげる)である。非常に中立な立場で、真実を伝えているように思う。普通は、TVのマンガなど観なかった父が、水木しげるのゲゲゲの鬼太郎だけは、見ていたが、戦争経験者として、共感するものがあったのだろうか。
平成の我々は、動物園か家畜か
今まさに、平成の30年は、昭和の後半と同様に、我々にとって、歴史の上の話ではなく、生きてきた現実である。バブル経済の頃に、大衆でも、かつての貴族並の暮しができるとういう論説もあった。この平和な暮しや、物質的反映を支えてきたものは、原子力安全神話か、不正会計や品質チェックの不正か、100年安心年金制度か、日米安保なのか。また、それは、貸し借り無しなのか、が問題だ。
既に、原子力安全神話や品質問題はウソが露呈し、年金制度も怪しい。そして、最大の不安が、日米安保であろう。