知識を理解するフレームワーク

 

徹底的に議論を深めるには、知識だけでなく、その知識を理解するフレームワークがなければならない。

 

講義やゼミにおいて、知識を教授する場合ですら、そのフレームワークが共通である場合は、理解が深まるが、そうでない場合は、知識は単なる丸暗記になり、残らないだけでなく、知識の再生産にならない。 

 

いわゆる理系、文系、製造業、非製造業の分類は、今や、最早、ナンセンスだとしても、いわば、知識を吸収する知的な土台を形成する多感な20歳前後に、専門分野毎に、知識を通して、醸成された考え方、知の理解のフレームワークが出来上がる。例えば、ε―δや∞の概念や、モデル化と近似と定量化、単位系、公理系、可観測性、などもそうだが、これらは教科書や問題集では習得が難しい。また、多くは、実験や製図、ゼミでの雑談でも得られ、気付き、深く残るものである。そして、その差は、小さくないのではないか。理系であれ、文系であれ、そのフレームワークがある者は、知識の再生産が可能だが、そうでない者は、単なる丸暗記の物知りに終わるだろう。これは、物理屋、機械屋、設計屋、測定屋、などフレームワークに応じた価値観や理解の仕方の呼称を生む。その専門に応じたフレームワークがあれば、新しい専門知識を吸収でき、深め、知の結合や再生産が可能になる。

 

 

さらに複数のフレームワークが形成されれば、多様で広く(これを器が広いという)かつ深い(懐が深いという)フレームワークが醸成され、複数の専門知識の融合や、知の再生産が可能となる。

 

しかし、このフレームワークがなければ、知識は、ザルのように抜け落ち、残らないし、フレームワークがアンマッチであれば、知識を真に吸収することは難しい(なお、これは、M&Aにおいて、PMIが難しい場合に、企業文化の差、経営重心の差があるが、更に言えば技術知識を理解かつ吸収する暗黙智がない、あるいはマッチング故だろう)

 

実際に、講義やプレゼン等で、長々と説明するより、専門用語で喩えたり、数式で説明する方が、理解が早い場合も多い。

 

リサーチでのインタビューやアンケートでも、長年、お互いを理解し合い、共通のフレームワークがある場合は、いいが、初めての付き合いで、フレームワークが異なる(言葉の定義や分析手法も異なる)のに、インタビューをしても、違和感あるどころか、誤解を生じる結果となる場合も多いのは、理解のフレームワークの差が、理系、文系、専門性によって異なるからだろう。

 

このフレームワークそのものを教えることは容易ではないし、教科書でも触れられない(たまにコラム等に掲載されている)が、それでも、紹介することは多少のヒントにはなるだろう。それゆえ、理文、多様な経歴と専門性を持つMOTでは、チャレンジしたい。

 

なお、日経・大学改革シンポジウム(123日開催)で三菱ケミカルHDの小林善光氏は、「大学レベルでは専門分野よりも物事に取り組む方法論や哲学を学ぶべきだ」とう持論を主張している。

 

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54766040T20C20A1916M00/