今は、平時ゆえに強いリーダーは不要か~

MOTの講義で、数名のゲストを招き、討論するものがある。そのグループ発表で、あるグループが、数名のゲストを、EQを提唱したダニエル・コールマンによるリーダーシップの6分類で評価した。

この発表自身は、これらが、①1人が1つに固定的に対応する静的なものではなく動的に動くものであるし(リーダーも成長過程で変わるだそう)、②それぞれのタイプが相関関係にあるか相反するか(実は、SDGs17項目も、お互いに矛盾がないか、独立事象か、同様の議論は必要であろう)、など論点はあるものの、一つの切り口であり、面白かった。

この6種類のリーダーシップとは、1)ビジョン型、2)コーチ型、3)関係重視型、4)民主型、5)ペースセッター型、6)強制型であり、1995年に発表された。https://souken.shikigaku.jp/446/

これは、私が2016年に提唱した、日本ならでは、会社法が変わる中での社長の再定義、1)象徴型、2)調整型、3)資本家型、4)事業家型、5)戦略ミッション型、6)プレーイングマネジャー型と同様の概念だろう。

 

さて、違和感を覚えたのは、今は、非常時でないので、6)は必要ない、との発言だ。日本全体が、世界が非常時でないはずがないと考えている。VUCA、コロナ禍、米中摩擦、過大な政府借金、高齢化、などなど非常事態が加速化している。確かに、非常事態が常態化しているが、まさに国民が不感症になっている。

 

 

ムーアの「パラノイアだけが生き残る」の言葉を思い出す。GAFA、国内でも、私の知る多くの名経営者が心配症、パラノイアであり、それが時々、過度に出てしまうことが問題だろうが。ESGやティール組織も大事だろうが、どうも、リストラが無い、実社会と隔絶された、アカデミックの経営学者のお花畑の「経営理論」に影響されているのだろうか。