今日、三権分立は、民主主義国家の常識であろう。そして、それは、国民のためだと思っていたが、もしかしたら、為政者側の知恵かもしれないと考えるようになった。クーデターや革命は、権力や富が集中する場合に起き、為政者だけでなく、多くの層が殺され、財産を奪われるが、政治や経済は混乱し、最終的には、国民もマイナス影響を受ける場合が多い。それゆえ、クーデターは国家反逆罪として重い。
日本は、天皇はかつて奈良時代頃までは象徴だけでなく、権力(もちろん武力)も財力も持っていたが、それゆえ、戦乱が絶えず、命を奪われることも多かった。それが、本郷和人が指摘しているように、宗教司祭的や文化面での知見で象徴として君臨することで、長く皇家を継続できた。明治維新以降は多少、権力もあったが、どちらかというと、拒否権が中心であり、戦後は再び象徴としての役割に戻った。
日本のマネジメント構造は、飛鳥奈良時代や、源平合戦、南北朝の騒乱、戦国時代等を経て、歴史的な教訓から、権力、財力、そして、象徴(君臨)あるいは知名度という有名力という三つのパワーのバランスあるいは分散が基本だろう。天皇あるいは学者等の有名力、官僚の権力、産業界の財力、三つのバランスが取れていて、国民も納得する。政策立案も、有名学者が有識者であり、産業界の有力者、官僚というパターンである。しかも、夫々の役割は固定している。
米では、比較的、大統領に全てが集中しているが、大統領自身がスター的であり、スターが大統領になることもある。更に、実業家が大統領にもなる。夫々が流動している。