大晦日も新年もなく世界で戦争が続いている。死者も増え国土も建物も破壊され、一層、悲惨になっているが、馴れてくるような怖さがある。特にマスコミがそうだ。コロナ禍の時に、日常化という言葉があったが、世界が、そうなりつつある。
これまで、戦後長らく、戦争は遠い地の話であり、新聞で事後的に状況を知る程度であった。90年代から、湾岸戦争が起き、TVで映像を視聴し、ゲームのような錯覚に陥る感覚があった。しかし、それも事後的な加工された映像による報道が中心で、リアリティは少なかった。それが、大きく変わったのは、9.11だろう。まさに、リアルタイムで、自分が搭乗したこともある機体の飛行機が、何度も最近も訪れたワールドセンタービルに突っ込む、という状況だったからだ。現在進行形であり現場を知っていることで、よりリアリティは高まった。これに、近いリアルな恐怖が3.11フクシマ原発の爆発だろう。
今回のロシア・ウクライナ戦争は、美しい街が攻撃破壊され多くの人が死んでいく状況がリアルタイム同時進行で報道される。戦争中に政治トップが訪問し、それをニュースで報じる。これは、これまでの戦争には無かったことであろう。世界中の人間がTVやスマホを通じ直接、映像を共有し、戦争中の兵士や被害者とも繋がっている、場合によっては、戦場に介入できる。過去は、戦場と、それ以外の地が、直接、リアルタイムで繋がり、状況を共通することは無かった。こうした、これまでに無い状況が、戦況にどう影響を与えるか、また、戦争というものの理解にどう影響するだろうか。もはや、映画やゲームでなく、直接、戦争の実態を共有し知ることができるのだ。
悲惨な戦場の映像が、紅白歌合戦やゆく年くる年の前後して、放映され、アナウンサーも、瞬時に表情を切り変える。これまでも、戦争報道はあったが、それは、現在進行でもなく、共有できるものでもなかった。何という不思議な感覚だろうか。戦争の認識はどう変わるのか。
そういう中で、年末に「日本のカーニバル戦争~総力戦下の大衆文化」(ベンジャミン・ウチヤマ、布施由紀子訳2022年8月16日みすず書房)を読んだ。350頁近いが読み易い。
1937年から1945年の日本の総力戦としての戦争を、大衆文化の観点から、特に、5種のカーニバル王(従軍記者、職工、兵隊、映画スター、少年航空兵)の切り口から、その本質を論考したものである。原著は2019年にケンブリッジ大学出版局から刊行、海外で画期的な研究書として注目を浴びたそうだ。