能登地震から3か月、また、忘れもしない3.11からは、もう13年だ。あの日、多くの方が亡くなったが、13回忌となる。しかし、まだ、今は、記憶に鮮明に残っているが、徐々に忘れていくだろう。
ヘッジファンドを始めて軌道にのり、リーマンショックも乗り越え、リーマンショック前でも後でも、プラス10%を叩き出し、日本株ヘッジファンドで表彰され、企業年金からも認められ、ファンドの金額も増え、これから更に発展という時だった。原発ルネサンスを信じていたわけではないが、日立や東芝、さらに、東北地方に工場を持つアルパインなどを保有、年度末の3月を何とかプラスで乗り越えようとしていた。オフィスは日本橋人形町のペンシルビルの8階と陣容強化もあり、9階も借り、拡張していた。
相場が終わる15分前は、臨戦態勢で殺気立つ。個別株をドタバタと売り買いはしていないが、ヘッジファンドは、ロングとショートの比率(ネットロングレシオ)や、どれだけ、レバレッジを効かせるか(グロスレシオ)など、幾つかの重要な指数を、現物株の状況に応じ、先物を使って調整する。
その2時46分にグラグラと大揺れ、ペンシルビル故に、震度6以上はあったろう。棚は倒れ、コピー機も机も滑り、反対側の壁にぶつかり、明らかに部屋が傾くのを実感し、死という言葉がよぎった。