No Side とは


Sell Side(証券会社)でもBuy Side(投資家)でもなく


強気でも弱気でもなく


ラグビーのNo Side精神で


中立、中期、中辛の視点で

 樹の根っこを見るリサーチ

関心事項は、戦前から中長期、構造、文化、根っこの力

あえて足元短期、株価判断、バリエーションは排除


No Sideへの思いと中立で独立なシンクタンクの再興の夢


小学生時代の作文で、将来なりたいものというのがあるが、「シンクタンク」と書いていた。当時は、野村総研や三菱総研ができ、マスコミでシンクタンクが取り上げられていた。
大学時代、研究室には予算が少なく、自分で装置を自作した。回路を設計制作、プログラムも書き、光学系の駆動装置も工作機で作成、勉強になり貴重な経験だったが、修士の時に科研費が当り、高価な装置を購入、大いに研究が進んだ。この体験から、研究をすることも大事だが、研究を評価して予算をつけるような仕事も重要だと感じた。また、当時は、理系の学問が狭い隘路で限界に行きあたっているような気がして、もっと広く、理系だけ文系だけの研究ではなく、総合的かつ融合的な研究、技術を評価するようなことも社会でも必要であり、その方が研究上もオリジナリティを出せると考えた。
そういう背景もあり、野村総研を希望(まだ理系の新卒は正式本格採用がなく、最初は電話帳で人事部に直接電話)した。役員面接での質問が記憶に残る。それは「将来、総研が予算難で解体、廃止となった場合、どうするか?」というものであった。私のその時の答えは「野に臥し、臥薪嘗胆、機を見て再興を目指す」というものであった。それは正直な気持ちであったが、当時は、妙な質問をするなあ、希望者の根性でも見ているのか、とか思った。しかし、後からはわかったが、当時は実際NRIは予算難であったのだ。解体廃止は無かったが、3年後にNCC(野村コンピュータ)に吸収合併され、さらに東京のエコノミスト・アナリスト部隊は野村證券に吸収され金融研究所となった。
電機のアナリスト等として5回のNo1となり外資や国内も含め達成感もあったが、ヘッジファンドを立ち上げた背景の一つには、リサーチを実戦で試したい、日本で真の独立の運用会社を築きたい、などの他に、大成功して資金が潤沢になれば、将来、野村総研が創業時にあったであろう理念、あるいは自分が入社当時の理想に燃えた「総研」を再興したい、という思いもあった。それは残念ながら道半ばで夢破れた。本来、運用会社は、独立系であるべきで事実欧米でも独立系が中心である。が、日本では難しかった。
•そして今、再びの挑戦である。細々とではあるが、シンクタンクを設立したつもりである。証券会社では、どうしても、売買を増やすための圧力、IB部門からの圧力、いろいろなしがらみがある。運用会社では、バイアスがかかったり、調査には限界もある。証券会社にも運用会社にも属さない「No Side」でこそ可能な自由な独立の中期中立のリサーチがある。かつての野村総研のように、いやそれ以上に、中立で、また独立なリサーチ企業こそ、真のリサーチを提供できるのではないだろうか?今、世の中は、そういう真のリサーチ、シンクタンクを求めているということを実感している。飽きず焦らず諦めず、サークルクロス総研が、そういう場になることに向けて日々、奮闘している。



No Sideアナリストが目指すもの

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ディスクロージャ
1.個人的にも弊社においても個別株の売買は一切しない
上場企業の保有株は、前職で運用を開始する際に、一度も株を売買経験がないとまずいだろうということで買った松竹株のみだが、その時1度と、後に株主優待の券がもっとほしいので、1度買い増しただけで、この5年以上は売買なし。未上場では弊社株および実家の親類の株のみ、前職のフィノウェイブの株も退職時に売却済み。
2.前職で運用していた波動ファンド、波動ハイテクファンド、またV1ファンドも全部解約済み。関連してあるのは、解約期間が長い、インドの債権ものは保有。
3.個人と弊社においての金融資産の運用は、外貨もの、外国債券、あとは上記の松竹株と親類の会社の配当収入。家賃収入。
4.当面は日経平均やTOPIXも触らないが、大暴落でもしてチャンスが来た場合は、可能性はあるかもしれない。ただ、その際にも、個別株は、No Sideの立場を貫くため、売買をしない方針。松竹株はそのまま触らない。